資産形成

未来が見えることで”今”も楽しめる✨

はじめまして!きいです!

きい資産形成塾にご参加いただき
ありがとうございます。

現在、TwitterではNISAを中心に
お金の発信をしているのですが、

この記事を読んでくれている
あなたや塾生さんたちには

さらにオトクな制度を使って、
”人生100年時代”において、

自分の価値観がはっきりすることで
今も楽しみながら

知識ゼロからお金の不安をなくし、
賢く資産形成をしていく
方法を配信していきます。

と、大きな約束をしましたが、実は私、
ここに来るまでたくさんの失敗を経験して
お金と自信をなくしていました。

・プロサッカー選手になれず自暴自棄
・友人に騙され、うつ状態
・副業でメンターと連絡がつかなくなる

ですがそんな私でも
今(2023年4月時点)では、

ーーーーーーーーーー
✅投資歴3年 相談実績多数
✅Twitter1,000フォロワー
✅1ツイートが3万人以上にみられる
✅いいね154、リツイート54
✅一緒に努力できる仲間が増えた
ーーーーーーーーーー

※下記、私のTwitterの
 プロフィールです。

お金を学び、投資をスタートさせ、
土台を作ったところで、副業を始め、

自分の好きなことで、気の合う仲間と、
お金も時間もコントロールできる

そんな充実した生活を
送ることができています。

それは、
お金のことをしっかり理解し、
資産形成を正しく、出来ているからです。

そのため、未来のお金の不安が
なくなりました。

ポイントを押さえることで、
過度にケチケチせず、

彼女とお互い趣味の美容で百貨店に行って
買い物をしたり、

一緒に美容医療をいったりして、
今をより楽しめるようになりました。

こちらの記事では、

資産形成を通して、

私のように大切な人との時間が持てて、
お金もあり、自分らしく生きることが
できる人が一人でも多くふえてほしいと

願いながら執筆しています。

✅老後2000万問題に不安がなくなった
✅失敗しない投資がわかった

そのような情報を
お伝えしていきます。

まずは資産形成をしようとして

失敗した私の黒歴史を
お伝えしていきますので、

ぜひ反面教師にして
あなたは同じ失敗をしないように

ぜひ学んでくださいね。

”サッカーバカ”プロを
目指す学生時代

小学生のときにJリーグが誕生しました。
その華やかな舞台を見て、

『自分が生きた証を残したい』
『プロになってお金をたくさん稼ぎたい』
『お金が稼げれば自由な生活が送れる』

とプロサッカー選手を目指すように
なりました。

小学生時代は、学童に入れてもらえず、
放課後、みんなでサッカーで楽しみ、

それだけだと足りず、家に帰ってからも、
壁に向かってボールを蹴り続けている
サッカー小僧っぷりでした。

中学時代では、念願の部活に入れたので、
更にのめり込み、朝練も行いサッカーに
明け暮れていました。

私の高校時代は進学校に入ったものの、
ずっと変わらずサッカーバカっぷりを
発揮していました。

サッカーに夢中になり過ぎて、
授業をサボり、本当にギリギリで
進級しているくらいでした。

『うわぁぁ~今日も疲れた~』

疲れを癒やすために、
お風呂に浸かるのが楽しみでした。


また、肌が敏感で、サッカーで
大量に陽の光を浴びていたため

日焼けで肌が赤くなり、
痛くなってるのは日常茶飯事。

『まじで肌が痛い、、
どうにかならないかな、、』

と考えた結果、

『これだ!!』

と母親の化粧品を見つけて、

”こそっ”と使ってみて、
翌朝の肌を確認。

『あっ!痛くなくなってる。
それに肌がツルツルする!』

と自分の肌を触りながら、実感。
美容が好きになるきっかけもありました。

こういう少年時代を過ごしましたが、

サッカーに対する思いは
誰にも負けないと
サッカーが有名な大学へ進学。

4年時にいよいよこれまでの人生の集大成

とプロテストをうけました。

『ついにここからが
新たな舞台になるスタートの日だ。

今までの全てを出し切って
道を切り開いてやる』

と意気揚々と挑戦したのですが、
結果は、

不合格

プロの世界は
そんなに甘くありませんでした。

現実は甘くない。

どんなに好きで頑張ってきても、
熱意を持ってやってきても

人生はうまくいかないときもある。
そう痛感しました。

『自分は何なんだろう。
 これまでの22年間の人生が
 否定されてしまった。』

と呆然とし、何も考えられませんでした。

夢を追って一生懸命頑張ってきましたが、

夢はすべて叶うものではなく、
叶わない夢もある。

プロのスポーツ選手は年齢のカベもあり、
大学までやってプロになれないのであれば、
厳しい。

夢に破れ、絶望していましたが、
働かないと食べていけないという、

当たり前の残酷さに打ちひしがれ、
なんとなく化粧品の中小企業に
就職しました。

いつまでも落ち込んでいても
仕方ありません。

これからの人生のほうが長いので、
次こそは、自分の好きなこと、
やりたいことで夢を叶え、

楽しく充実した生活で
成功と呼べるものにしたい。

そう思い、気持ちをポジティブに
切りかえていこうと心に決めました。

ただ、今まで自分がやりたいことが
サッカーだけだったので

まずは夢を見つけるために、
目の前のことを全力で向き合おう。

気持ちは新たに次のステージに進みました。

社会の”洗礼”
一般企業への就職 

就職に関して、

サッカー選手以外に

・・何やりたいだろう?

考えた結果、

思いついたのが、

”化粧品”

昔、自分の悩みを解消してくれたのが
印象に残っていました。

「悩みを解消できる化粧品って
ステキだな。」

と化粧品会社に就職しました。

しかし、働く中で、過酷な労働環境と、

評価はされるのに
肝心の給料が増えないで、

自由な生活を送れず
絶望を味わうことになったのです。

配属は工場の製造部でした。

毎日が終電間際まで16時間働きました。
いつも時間に追われ、ぎりぎりまで
仕事をしていました。

昼ごはんを食べて、
すぐまた仕事に戻らないと
終わらないスケジュールです。

仕事は、完全に体力仕事。
昼食の休憩以外は動き回り、
200kg以上のものを従業員同士で

協力して人力で運ぶような
筋肉を酷使して疲労が溜まる環境でした。

会社から家に帰って、風呂入って寝るだけ。
自由な時間はなく、疲れ切っていました。

こんな状況で、朝起きても、疲労が
残る状況、心もすり減っていきました。

過酷な環境の中、

予定が終わらないと

”休日出勤”

が発生。

酷いときには、
3週間も連続勤務で
休めないときもありました。

時給で計算すると500円を
切っていました。

(まじか。
アルバイトの時給より低いじゃん。)

あとで、こういった働き方を
させている企業を”ブラック企業”
ということを知りました。

だけど、当時の私は、給料の出ない
サービス残業の当たり前の会社で
働いていました。

『サッカーで身につけた筋力や持久力で
なんとかやってるけど絶望的な仕事量だな。
社会人ってこんなに大変なんだ...。』

このような大変な職場だったので、毎月、
従業員が多数、会社を辞めていきました。

しかも「悪夢から開放された」と
清々しい表情をされて退職していくのです。

社会人1年目の私には職場の異常さを
感じ取ることはできず、

取締役からの

「期待してるからね」
「仕事っていうのは大変なんだ」
「仕事があるだけありがたいんだ」

という言葉を嬉しく感じ、
素直に首を縦に振り、私は

”石の上にも3年”という言葉を信じて、

『大変だけど、まず、3年は頑張ろ!』

と心に決めて頑張っていました。

その後、厳しい状況でも、
なんとか予定を終わらせようと
努力する姿勢を評価認められ、

新卒3年目で製造部の所属長へと昇進。

役職がついたことで、
さらに仕事は増え、
会議で使用する資料の準備は

家に持ち帰って休日やるなど
しないと間に合いませんでした。

さらに自由な生活からは
程遠くなっていきました。

ただ、役職級がついても肝心の給料は
月1万円も上がりませんでした。

『えっ!役職がついても
 これだけしか増えないんだ、、』

と金銭面で絶望していました。

給料と時間には、不満がありましたが、
会社から

・仕事をやり切る勤勉な姿勢
・グチを言わない

と言った頑張りを評価され、
期待を感じていました。

取締役から

「今は仕事が溢れすぎていて、

大変な状況だけど、きい。

よくやってくれてるよな。

会社の状況を良くして、
還元していけるようにしていくよ。」

と、働く前はサッカーのことしか
頭になかった自分でしたが、
一生懸命頑張ったら、

他の人にも認められたり、評価もされて、
自信もでき、達成感があって

会社に貢献できているんだ!
とやりがいを感じたのと

改善する意思があるということで
なんとか、頑張り続けることができました。

ただ、働く割に給料が低いこと、
これだけ、時間を拘束されると、

ホントに自分らしく
生きることができてるのかな?

と感じていたものの、

でもまぁ、今はいっかと
問題を先送りしていました。

脳筋マン
知的な研究室に部署異動?

しばらくたっても、
会社の状況は一向に
改善されませんでした。

取締役は良くしようと
努力していましたが、

仕事が増えすぎて、
労働環境は過酷さを増し、

毎月、退職者はどこかの部署で
発生し続けていました。

経験者の代わりに
新人が入ってくるため、
業務の効率は悪くなる一方

ミスも増えることで
作業も増えました。

結果、精神的な負担も増え、
環境はどんどん悪化していきました。

そして、ついに事件が発生。

別部署である研究室の社員8名のうち、
5名が一度に退職する事件が
起こりました。

当然、手数が足りなくなり、
顧客の希望で、製品の納期は
遅らせられないと、

休日出勤をして
顧客への要望に応えていました。

正直、私でさえいつ倒れても
おかしくない、
そんな綱渡りの状態でした。

そんな中、取締役より

「きい。研究室に
部署異動してくれるか?」
と打診がありました。

(・・厳しすぎる。
そもそも人手が足りない。
新しい子が入ってきても、製造部の仕事は、

引き継ぎも甘くないし、
戦力になるまで当然、時間がかかる。

しかも引き継ぎをしながら、同時に、
自分は開発も一から覚えなきゃいけない、

顧客は待ってはくれないし、
どうやりくりできるんだろう。

さすがに今回は無理だと言いたい。

ノーと言いたいけど、
きっと断っても、異動することには、
変わらないよな、、)

そんな、ネガティブな気持ちで
溢れていて、とてもじゃないですが、
うまくいく道筋はみえませんでした。

その後、時間をもらい、悩み抜きました。

本当は逃げ出したい、

でも

・・・・
会社でもなくてはならない
花形の「研究部署」に
異動できるのは幸せなこと

せっかく期待してくれてるんだから、
まずやってみよう。

自分にしかできないこと
もきっとあるはず。

とメラメラした気持ちが
湧いてきました。

このとき心の中にあったのは、

サッカーを通して学んだ

『社会は厳しく、困難を超えた先に
見えるものがあり、自信につながる』

ことを理解していたので、
普通だと逃げ出すような状況で
ポジティブに考えられたのです。

(源流である研究の部署を変えられれば、
より働きやすい環境が作れるはずだ!

自分が会社を良い方向に変えてやる!
やるしかない。)

そんな強い気持ちを持って、

『私でよければ、頑張ってみます。』

と部署異動の準備のため、
兼務の状態になりました。

その中で、化粧品の開発を通して、
自分が美容が好きだという気持ちを
改めて思い出すことができました。

『自分がたずさわった商品で
人を幸せにする手伝いができるんだ』

と嬉しく思っていました。

しかし、2つの部署をかけもちしているので
1時間弱あった余裕時間がほぼゼロに。

給料の待遇や拘束時間は
つらいものがありましたが、

この仕事自体は好きになっていました。
だからこそ、働く気持ちを
保っていられていたのです。

同棲生活 彼女との
別れで気づいたこと

研究室に部署異動してから、
社内の女性とお付き合いを
することになりました。

彼女は

笑いのツボが同じで、話していて楽しい
二人っきりで無言になっても気まずくない

など、波長や価値観があって、
いい意味で、
気をつかわずにいられる存在でした。

付き合って、3年ほどたったとき
私は、

『そろそろ結婚をして、
幸せにしてあげたいな』

と意識しはじめていたころでした。

彼女に異変がおきたのです。

職場の劣悪な環境に
耐えられなくなったのです。

業務量が多く、
余裕なく働いていたため、

誰も人の心も周りを
気遣う余裕もない状態でした。

新しく入社した
仕事のパートナーとソリが合わず、
心がすり減っていきました。

協調性がない
挨拶ができない

挨拶という最低限が
できない子で、同じ職場で
働けないような協調性のない子でした。

その子のマイナスエネルギーを浴びた彼女は

彼女
「会社に行きたくない。教えるのが怖い」

と言っていました。

それでも、頑張っていこうとしていました。

が、その真面目な性格から、
みるみるエネルギーを
奪われていったのです。

私も仕事から帰るのが遅く、
自分のことでいっぱいっぱいでした。

でもどうにかしたくて、
私は、取締役にに状況を
説明し、なんとかしてほしいとお願いしました。

きい
『最近、Aさんの様子がおかしいので、
注意して見たほうがよさそうです』

取締役
「ん?そうか?新しい子が入って
業務が半分になるから大丈夫だろ?」

と何度か言っても、
問題として捉えてもらえませんでした。

その後、彼女は会社に行けなくなりました。

そして、病院に行き、
うつ病の診断が下ったのです。

私は頭が真っ白になりました。

(自分の大切な人も
守ってあげられないのか。)

彼女はその後、静養。

彼女から

彼女
「ごめんなさい。別れてほしい。
会社も辞める。会社の環境がつらい。

一度、ゼロにしないと治らない。」

きい
『・・・』

私は支えたかった。
でも、彼女にこんなことを
言わせてしまった。情けない。

私は何度か説得しましたが、
答えは変わりませんでした。

このとき、このままじゃダメだと
確信を持ったのです。

いくら美容系の仕事が好きでも、
給料も平均以下、自由な時間はないし、

夜、家に寝に帰るだけのような状況じゃ

大切な人も守れない。

このままの人生じゃダメだ。

バランスが大事なんだときづきました。

このままここにいても、同じような状況が
続くだろう。

実際これまで変わってこなかった。

定年まで続くような、
そんな状況はさすがに想像したくない。

これからも会社員として、
疲弊していく生活をするのは
もう懲り懲り。

こんな思いはしたくない。

と、まさに絶望でした。

このままじゃダメだ。
この会社から抜け出さないと

自分の求める、給料、時間、
大切な人を手に入れることはできない

行動していくしかこの現状を変えていけない

と自分の想像する未来が明確になりました。

友人と共同代表のはずが

その後、時は流れ、
私が所属する会社の根本的な体質は
もちろん変わりません。

私自身は、会社外とのやり取りも増えて
視野がさらに広くなってきました。

たくさん触れ合うことで、
限られた時間を自分の気の合う人と
一緒に仕事をしたいと思うようになり、

自分が何をしたいか
考えるようになりました。

彼女との別れから、私は、

大切な人が困っているときに
助けてあげられるような人で
ありたいと思うようになりました。

社畜はもう二度とイヤ
人に振り回させる生活はイヤ

大切な人と自由な時間を過ごし
お金、時間の自由を手に入れたい。

そのために、
転職もありだけど、

同じー業界だとそこまで給料は
変わらないんじゃないか。

どれも取るなら、やっぱり

自分で新たに事業を起こしたほうが
給料、時間が手に入りやすいよな。

そんなモヤモヤが続いていました。

そんな中、
いままでお世話になっていたYさんから

Yさん
「退職を考えているんだったら、
一緒に会社やる?

どっちが上下ないように
フラットにやるのはどう?」

と声をかけてきてくれました。

(えっ!これは自分が思い描いていた
大切な人、お金、時間の自由が
手に入るきっかけになるかもしれない。)

そう感じ、
話を詳しく聞くと

なにやら1人で起業して
数年、会社をやってきていたが、

限界を迎えていて
会社をたたむか考えていたところ

とのことで、

行き詰まっているので、
2人で一緒に取り組むことで
事業を拡大していきたいとのことでした。

きい
『給料や時間はどうなんですか?』

Yさん
「もちろん会社が赤字にならないように
売上に応じて、自分で決められるよ」

(なるほど、これは自分が頑張れば、
給料、時間は調整できる)

あとは、Yさんと合うかどうかです。

周りの人からの印象は
我が強く、自分の意見を押し通す
仕事はできるけど、周りは振り回させる

そういった評価はあったものの、

私自身は、Yさんから
リスペクトされていると感じていて、

自分ならうまくやっていけると
思っていました。

こちらが話せば理解してくれる
依頼したものをすばやく対処する。

など、私はあまり悪い印象は
ありませんでした。

むしろ意向を組んでくれ、
対応してくれてありがたいものでした。

『自分ならYさんと
一緒にうまくやっていける』

そう信じて、

きい
これで給料や、時間の自由が手に入る。
会社に依存することなく、究極の未来を
手に入れるんだ。

と決意の退職。
Yさんと一緒に同じ道を
歩いていこうと決めました。

ところが、
Yさんと一緒にやっていこうという
判断が間違いでした。

結局、5ヶ月間もの長い間、
約束した一緒に会社をやるという話は
何も進みませんでした。

そのため、給料に関しても、

がんばった分もらえるはずが、
最低限の給料しか貰えず
取り合ってくれません。

時間に関しても、

自分でがんばれば、給料が増えると
思っていたので、当然、拘束時間は
長くなりました。

結果、私が取ってきた仕事の売上は
Yさんに横取りされて終了。

さらに、

私と一緒に仕事を行う前の
Yさんが行っていた案件で
クレームが発生しました。

内容はYさんのほうが分かっているのに、
クレームの処理をまかせると言われ、
私が対応することになりました。

顧客のためを思い、2つの方法で進めました。

すぐ対応できるけれど完全ではなく、
クレーム率が下がる方法

時間がかかるけど、完全に解決できる方法

の2点です。

この問題はYさんに設計に
根本の問題がありました。

それを事もあろうに私のせいにされたのです。

Yさん
「あんたに任せたのに
余計な仕事が増えたじゃない。」

(えっ?本来、Yさんが処理する
クレームを私が担当したのに、
感謝されるのはわかるけど、

私のせいにするの?
これはさすがにおかしいでしょ。)

まさか責任を押しつけられ、
びっくりしました。

こんな理不尽なこと言われるんだと
人間不信になりました。

(お互い同じ道を進もうと決めたのに

がんばった分もらえると約束した、
給料も決められない、
時間も長くなっている。

自分で起こしたクレームの
責任をこちらに押し付けてきた。

バカにしてるじゃん。

こんな人として最低限のことも
理解できない人だったんだ。)

とびっくりしました。

私は、

『同じ道を歩む上で、
がんばった分、給料と時間が自由にできる
という約束を守らなかったり、

人をバカにした態度を取るような人と
当然、一緒に仕事をすることは出来ない』

と、話を白紙に戻し、
別の道を進むことを決めました。

この件で学んだのは、

人を選ぶことの難しさ

です。

後から振り返ると、私自身この当初は、
違う環境に行きたい、

転職や独立したいなどを
強すぎて盲目だったなって
反省しています。

体のいい言葉で私を誘い、私は単純で、
簡単に乗っかってしまったのです。

人を選ぶ基準が明確になっておらず、

この後も、
苦しめられることになろうとは・・

私は、
これから自分はどう生きていくんだろう。

『このまま会社員に逆戻りして、
定年まで社畜のように

働くしかないのだろうか。』

と本当に暗い未来しか
想像できず、

思い切って、会社を辞め、行動したものの、

他の人を頼っても何も解決しない
自分で道を切り開くことの大切さ

を思い知りました。

新しい世界へ
WEBビジネスとの出会い

このまま時間もお金も自由にならない
会社員には戻りたくない、
立ち止まってる時間はない。と

もともと見る選だったTwitterを
本格的に情報収集する媒体として、
使うようになりました。

SNSに関しては、
もともと「見る専」でしたが、
アクティブに活動している方たちをみて、

こんな面白い世界もあるんだなと
感じていました。

ある日、

顔出しをしているアイコンで、
爽やかな印象のMさんから
ダイレクトメールをもらいました。

なにやら、副業やビジネスをやる方法を
教えてくれるとのこと、

(いままでいろいろな形で人に
裏切られてきてるからこわい)

という不安はあったものの、

(でも、今までの自分だと
結果は変わらないよな)

(こちらにアプローチして
きてくれているし
変わるチャンスかもしれない)

と興味を持ち、何度か質問をしました。

きい
『今、何されているんですか?』

Mさん
「最初、WEBビジネスで副業して、
現在はフリーランスとして
生活しています。

WEBビジネスに関して
会って説明しますよ。」

はじめての経験で疑いばかりでした。

(・・これって、会ったら
なんか買わさせるかもしれないな。

こんな親切な人いるのかな?
WEBってこんな簡単に
つながるものなの?)

と疑いつつも、

(でも、これからも会社員として、
疲弊していく生活をするのは
もう懲り懲りだな。

なんかつかめるかもしれないよな。)

と藁にもすがる想いがありました。

でも、いままで知らない世界にこそ
自分が求めるお金と時間の自由があるに違いない。

と、覚悟を決め、

きい
『・・会って話させてください。』

ドキドキしながらも一歩踏みだしました。

”緊張” 喫茶店
初の自己投資が事故投資に

集合場所は東京の喫茶店。
(会うのも東京だし、
いざとなったら、にげられるだろ。タブン)

Mさん
「初めましてMです。きいさんですか?」

白い服が似合う爽やかな方でした。

(フリーランスって
こういう自由で自分を持ってる
イメージあるなぁ)

1年以内に起業すると熱心で
夢を語る姿は輝いていました。

”個で稼ぐ”をテーマに
活動されていて

多くの教え子もいて
副業で収益化を目指している

コミュニティを運営されている
とのことでした。

実際、私は、Twitterを見ていても、

副業をやるにあたり、
ライティング、動画制作、イラストなど
多種多様で

何を始めればよいのかわかりませんでした。

WEBビジネスは1人で
やっていくものだと思っていたのですが、

コミュニティがあって
みんなで協力しながらやっていく

ビジネスがあるというのは
私にとって新鮮でした。

(しっかり自分で生きていくための力は
こうやってつけていくのか)

Mさん
「よかったら一緒にフリーランスに
なるための勉強をしていきませんか?
ビジネスの基礎から学べますよ。

一人で生きてくためには
速断即決することが大切ですよ。

人生は決断の連続で、
速断できないうちは
稼げるようになりません。」

(うわーそういうものなのか💦
 けっこうな金額だし、躊躇するなぁ)

きい
『本当に稼げるようになるんですか?』

Mさん
「けっして楽ではありません。
諦めないで継続していけば、
必ず稼げるようになります。

高速でPDCAを回し、
継続することで再現性がでてきます。」

きい
『・・信じます。よろしくお願いします。』

決断して、はじめての自己投資。
”大金”を振り込みました。

今度こそ、お金と時間の自由が
手に入り、未来が明るくなる!


そう信じていました。

・・最初の1ヶ月は、
ミーティングも頻繁に行い、

こんなにやってくれるんだと
嬉しく思っていました。

ところが1ヶ月を過ぎたあたりから、
ミーティングの回数が減り、
返信も遅くなっていきました。

ミーティングの日程調整もつかなくなり、

忙しいんだな、
連絡取りづらいなと思い始めました。

私を含め3名でグループLINEを作り、
Mさんに指導してもらっていました。

やり取りはグループLINEで
進め、共有されていました。

ただ、Mさんの返信が遅くなるときは
個人ラインに連絡がきて、
隠すようになりました。

何度かそのような状態が続き、
不満が溜まりつつあったので

状況をを変えたく、勇気を振り絞り、
要望を伝えました。

きい
『3人で勉強会をさせてもらえませんか?
日時は、遅くなっても問題ありません。』

とラインをしたところ、既読スルーでした。

後日、ミーティングの際、

Mさん
「自分ですら会って、3人で
作業をやったことないから、無理だよ。」

と断られました。

その時、ぷつんと糸が切れました。

最初だけ優しくて、リスケだらけ
返事が遅くなると、個人LINEでごまかす

こちらの3人で勉強させてほしい
という要望も”やったことないから”

とよくわからない理由で断られ、

最初に出会ったときの良い印象は
かけらも残っていませんでした。

結局、お金を払っても、
たった1ヶ月くらいしか熱量高く

教えてくれないんだ。

・・今回も人を見る目がなかったのか、
今回はさらに自己投資したのに。

転職、副業を通して、
本当に人を見る目がないなと感じました。

(また、Yさんのときと同じ失敗じゃん。
何度繰り返しちゃってるんだろ)

自分が無知で、
人を選ぶ基準が足りてなかったから、

失敗したんだなと自分を責めました。

この時点で、人を選ぶ基準は
①「実績」②「人柄」
で選んでいました。

実績がなければ、そもそも頼れないし、

人柄がなければ、
傲慢な人には教わろうと思いません。

ただ、これだけでは、なにか欠けている。

このまま気づけない、
わからないままだと
また繰り返してしまう。

大金を注ぎ込み、自己投資をして、

なんとかして会社員に戻らないように
必死な毎日。

自分から行動するだけじゃダメ
がむしゃらに動くだけじゃダメ

糸口が見いだせず、絶望的な状況でしたが、
それでも動くしかありません。

なにが足らない?

”信頼”メンターとの出会い 
進撃のきい

そんなときに、Twitter上で
優しくひかる人を見つけました。
Fさん。

私も資産形成の発信をしていましたが、
Fさんも同じジャンルで発信を
していましたので、

その人が出している教材を、
勉強感覚で購入しました。

その教材が”本当”にすごかった。

ネットで色々なサイトを見て、
学んできたつもりでしたが、

本当に知りたいことが書かれている
かゆいところに手が届いている

そんなすばらしい教材でした。

2年以上、
時間を作り学んでいたのにもかかわらず

なにが本当に大切か
理解できていなかったのです。

たったワンコインで購入できる教材
でしたが、お金を使い、勉強することは

やはり無料の教材と違うんだな
と感じました。

しかも、LINEでやり取りができたので、
教材を読み込み、
質問を何度か交わしていきました。

Fさんは誠実に答えてくれて、
理解が深まっていきました。

(正直、この2年間はホント
 時間の浪費でした。早く知りたかった。)

Fさんとやりとりを何度か交わしました。

きい
『この部分の解釈はこれであってますか?』

Fさん
「そうですね!その認識ですが、
しっかり合っていますよ!

理解していくことで不安は
どんどん少なくなっていきますよね。
応援しております!!」

※下記実際のやり取りです。

もっと詳しく今の”モヤモヤ”を
すべて聞いてみたいな
という気持ちが芽生え、

勇気をもって、聞いてみました。

なんと、快くOK!!

しかも18時にLINEをもらい、
当日20時WEBでミーティング!!
早すぎる対応です。

緊張でいっぱいでしたが、
話を聞いてみたいと

きい
『ぜひぜひお願いします!嬉しいです!』

実際ZOOMで
なんと2時間半くらいお互い
話し込んでしまいました。

会話がはずむ弾む!

初対面で、こんなに話すのは
今までにない経験でした笑


お金の勉強がすべての土台になっていて、
Fさんもそれで成功してきたし、

土台があるからこそ
副業に挑戦ができている。

お金の知識があるから必要なところに
自己投資し、幸福度を上げていること
が理解できました。

あっというまに、時間が過ぎ
ミーティングは終わりました。

・・ただ、私は人やお金の使い方で
連続で失敗しています。

まてよ、これももしかしたら、
なにかあるかもしれない。
警戒心が強まってきました。

(これでまた失敗したら、
今度こそ這い上がれないよな。)

そんな気持ちで今にもあふれそうでした。

ミーティングが終わったあとも、
その不安をかき消そうと
深夜25時過ぎまでLINEを続けました。

そこで

私が連続で失敗した

人をどういった基準で
選ぶべきなのかがわかりました。

やりとりをする中で
人を選ぶ基準は3点あると感じました。

「実績」
「人柄」
「理念」

「実績」があればうまくいきますよね。

実績がなければ、まず教わろうと
思いません。

以前のメンターもフリーランスで
活動しているという実績がありました。
だから一度はついていこうと決めたのです。

Fさんは当然ながら、
Twitter上で目立つ方だったので、

これ以上実績に関して
確認する必要はありませんでした。

つまり、実績は前提条件になりますよね。
しかし、それだけではダメだったのです。

そこで話をしていて、

「人柄」

も大切だと気づきました。

私は、どんなに能力が高くても
突っかかってきたり

攻撃的な人は自分の憂さ晴らしを
しているようにしか感じられません。

人柄に関しても、
以前のメンターも当然
最初は良かったですが、

徐々に熱量が冷めることまで見抜けず、
騙されてしまいました。

Fさんは、以前のメンター以上に
丁寧に説明してくれ、

まさに寄り添ってくれるところに
惹かれました。

普通、話をしたいと言って

その日のうちに時間を取ってくれ、
25時過ぎまでやり取りしてくれる人は
そうそういないです。

今までの私だったら、
この2点の確認で

指導をお願いしてはずです。

しかし、2度も連続で人に裏切られた私は

この実績と人柄の2点だけでは
不安を感じ、他にはないかを

考えながら
やり取りをしていました。

そして、
ようやく3点目の存在に気づけたのです。

それが

「理念」

これが本当に”重要”で両者比較して、
決定的に違うことに気づいたのです。

理念、つまり根底にある根本的な考え方
のありなしに差があったのです。

1人目のメンターMさんには残念ながら、
理念を感じることができませんでした。

対するFさんに感じた理念は

”一人ひとりに寄り添いたい”
”みんな違ってみんなよい”

ということでした。

物事を解決する上で、

セオリーを教える1人目のメンターMさん

対して、Fさんは

セオリーだけでは解決できないことを
知っていて、私に寄り添ってくれました。

その寄り添いは、Yさん、Mさんで
人間不信になり、傷ついて、

うつ状態の私の心に染み渡りました。

このやりとりは、
Fさんの自己紹介ブログに
書かれていたこと

一貫性

があることを
自分で気づくことができました。

ブロクには、

Fさんと彼女の葛藤が書かれていました。

Fさんは、彼女が借金していることを

自分事

としてとらえ、

お金の勉強し、
セオリーである定期貯金を提案。

しかし、うまくいきませんでした。

でも、そこで諦めることなく、
さらに勉強して、

彼女の気持ちに寄り添う

ことで、二人三脚で進んでいき、

何度も失敗をしながらも一歩一歩進んでいき、

借金返済をすることができたのです。

その寄り添いの姿勢がまさに今回、
私が感じ、考えたFさんの理念と
一致していました。

十人十色

違うからこそ、より光輝けるようになる

という想いが強く伝わってきました。

いわば

”塾”と”家庭教師”
の違いがそこにはありました。

前のメンターMさんの”塾”のように
みんなに向けて指導する方法と異なり、

Fさんは”家庭教師”のように
私だけのために、

私を認めてくれ、受け入れてくれ
しっかり向き合って教えてくれていました。

私は、そんな人を探していたのです。

熱心に私とやり取りをしてくれる
その姿勢から「理念」が感じられ、
共感することができました。

そして、実際にFさんに
指導を受けて、再確認しているのですが

理念があることで、
私がどんなにポンコツでも

しっかり状況を見極めてくれ、
常に存在を否定せず、

認めてくれながら
成長を促してくれています。

私が連続で失敗してきた

選ぶべき人の基準は

「実績」「人柄」

そして私がかけていた
”ラストピース”

「理念」

この3点が必要と
確信に変わったのです。

上記のように、

失敗して学んできた本質が
自分の中で腑に落ちて、

整理できたことで
不安がすべて解消し、

私は心からFさんにお願いして、
リスタートすることができたのです。

Fさんにお願いをしてから

お金についての理解を深めるために
教材を隅から隅まで学び、

わからないことは質問をして
しっかり理解に努めました。

その後、
Fさんおすすめの本を読みあさったり、

Fさん主催のセミナーに参加し、
投資をしていくための
本質を学びました。

おかげで投資は
”あやしい”
”ギャンブル”

と世間一般で言われている
印象が変わり、

実は、”投資”と”投機”の違いがあり、
まったく異なるということも
理解できたり、

投資を始めた当初は
ネットで見た情報を鵜呑みにして
根拠なく商品選びをしていましたが、

しっかり根拠を持って
選べるようになりました。

結果、お金に関して、
正しく学べていると
実感がわき、自分の価値観で

お金を使えるようになり、
将来の不安も消えました。

サッカーのプロの世界とは違って、
正しい努力をすれば、資産形成なら
だれでもうまくいく!

そこがいい!そう感じました。

その後、学びをTwitterを通して
発信したところ、結果がでて、
瞬く間に成果が上がりました。

正しい知識を発信することで

たった1ツイートで3万人
みてもらえるようになったり

いいねは100超えを連発、
154のいいねがついたツイートも。

1ヶ月で65万人もの方に発信が
見られるようになりました。

さらにTwitterで出会った方から
相談を受けたりして
感謝されたり、頼られるようになりました。

※下記、実際にコメント
頂いたツイートです。

コンサルを受ける前は、
本当にこれでよいのか
モヤモヤ”した状態だったのが

今では、
Twitterにも”自信”が持てるようになり、
苦しんだことが他の方の役に立っていると

感じられ、
やるべきことも明確になったので、
人生が楽しくなりました。

その結果、フリーランスとして、
迷いなく進められています。

あのとき、勇気をもって相談して、
信頼できるメンターにお願いをして

自己投資をしたことで
結果がだせるようになりました。

お金の学びを行うことで、
「未来」を考え、その結果、
「今」を楽しめるようになったのです。

お金の勉強をしたからこそ、
伝えたいことがあります。

人に頼って、Yさんと一緒に会社を
やるはずが失敗した。

自己投資をして稼いでいこうと考え、
挑戦したけど、信じられる人を
選ぶ基準が分からず、同じ失敗した。

でも、私は結局、お金の勉強をしたからこそ、
人生が好転していったのです。

最初に、お金を学ぶということが
大切だったんですね。

つまり、お金の不安をなくすには
正しい順番があるのです。

失敗した私だからこそわかります。

いきなり、
転職をするのではなく、
脱サラ、起業をするのではなく、

副業で稼ぐのではなく、
経済的な自由を目指すのではなく、

まずはお金の勉強をすることが、
最初のステップだったんです。

少ない給料を嘆くのではなく、
その中でもお金の勉強をすれば、
お金を増やすことができる。

副業で収入を少し増やしたいと考え、
安易な気持ちで飛び込み、

なんのために収入を増やしたいのか
目的が不明確だと継続できず、挫折して
失敗するのです。

これらの失敗は
お金の勉強をすることで
すべて解決できます。

実際に失敗した私だからこそ
断言できるのです。

お金をどう使っていくか
お金をどう貯めていくのか
お金をどう増やしていくのか

戦略を練るためにお金の知識を
習得していかないといけません。

そこである程度、知識を吸収し、
詳しくなったら、まずは

「オトクな制度」を通して、
実践することで、

今の生活の土台や、
将来的なお金の不安を
なくしていきましょう。

実践を通してしか得られない、
お金の勉強の経験がつめます。

わかるようになってから

はじめて、収入をあげるために
副業に手を出していく流れです。

この流れをとることで、

どこにどのくらいお金を使えばよいのか
判断ができるようになり、

誰から学ぶかもはっきりしてきます。

SNSの世界は本当に怖い世界なので、

あなたには
私と同じ失敗を
繰り返してほしくありません。

私がTwitterやブログなどの情報発信を
行っている『理念』
ここが根底にあります。

”一人ひとりに寄り添いたい”
”みんな違ってみんなよい”

私は今回、お金の勉強を通して、
正しい投資先の選び方、

未来を考えることで
今も幸せな人生を送る

土台作りを提供していきます。

私の場合、彼女とお互い趣味の美容で
百貨店に行って買い物をしたり、

一緒に美容医療をいったりして、
今をより楽しめるようになりました。

同じ失敗を繰り返さないために
幸せな人生を送れる最適解は下記です。
必ず、この順番で学んでください。

①お金の勉強
②投資スタート
③副業 

この順で学ぶことで幸せな人生を
送ることができます。

なぜお金の勉強を先にするのか

それは、
副業をするときにも、

自己投資先を
見定めることができるようになる

お金の知識がないと危ないんです。

だから、この

①お金の勉強
②投資スタート
③副業
 

の順で勉強していくのがベストなのです。

でも、目先の利益にのせられて、
副業からスタートしちゃう人が
多発しているんです。

お金の知識を学んでいくと

その後、収入を増やしたいと
感じてくるはずなので、
改めてその話はさせていただきますね。

このLINEでは

時間、お金、人で失敗した
私だからこそ伝えられる
資産形成の順番を伝えていきます。

あなたがこれから挑戦をしていくための
土台作りをどうすればできるのかを
話していきますね。

オトクな制度を使って、
”人生100年時代”において、

幸せな人生を送る土台作りを!

あなた専用のお金の勉強、

きい資産形成術 

を用意しました。

せっかく読んで頂くからには、 

しっかりためになる
情報をお届けしたいと思ってます! 

第2話では、
「お金とか投資」に関して
伝えていきますね。

配信していきますので
楽しみにしていて下さい。

なにか質問があれば返信お願いします✨